「死ぬときに後悔すること25」という、緩和ケアの病棟で主にがん患者の心身の痛みを取り除くことを仕事とするお医者さんの本があります。その中で、“身体的な痛みは取り除くことはできても、心の苦痛を取り除くことは難しい”ということが書いてあります。余命を意識した患者さん達の後悔とはどのようなものでしょうか。

代表的な悩み25のうち、「自分のやりたいことをやらなかった」という項目があります。日本では、どんなに厳しく理不尽な労働環境でも、会社を辞めずに働き続けてしまう従業員が、一定数存在するそうです。「働き続けることが美徳」という価値観が当たり前のようになっているからだともいえます。実際に、周囲に合わせることばかり考え、言いたいことも言えず耐えるばかりの人生だったと後悔する人は多いそうです。

「やりたいことをやらねば最後に後悔する。やりたいことは、さっさとやるべきなのだ」

でも、どうしたらいいのかわからない。そんなあなたのために……。このブログでは、サラリーマンから何の資格も後ろ盾もないまま夢に向かって突き進むマンティー・チダ(ラジオパーソナリティ)とナビゲーターMが「夢とロマン」をテーマに語り合います。

M:“何かをやりたい”って人は多いのですが、「○○の資格がないとダメだから……」と言っていつまでも勉強ばかりしている人がいます。ラジオパーソナリティになるには、どんな資格がいますか?というか、マンティーさんはどういうきっかけでラジオパーソナリティになったんですか?

マンティー:中学3年生のころ、当時広島で高校入試の勉強をしながら、ラジオを聞いていたことがきっかけでラジオが好きになりました。ただ、当時の私は、人前で話をするなんて大の苦手で、ラジオの世界はあこがれの世界に過ぎなかったのです。社会人になってから20代後半に、仕事柄人前で研修講師を担当する機会が増えてきて、自分で言葉を発し、だれかに伝わる面白さを知ったのです。そして、面白くなってきた私は、ある日コンビニエンスストアでケイコとマナブを立ち読みしていた時に、MC学校の存在を知り、アナウンサー教室に通うようになりました。アナウンサー教室では、基礎などを学びました。授業の一環でラジオ番組のゲストという形でラジオ番組出演がかないました。しかし、年齢やアクセントなどいろんな癖があり、アナウンサー教室に通ったものの、ラジオの世界に飛び込むことはできませんでした。

しかし、そのアナウンサー教室で知り合った元局アナウンサーが当時出演していたインターネットラジオ番組で2か月間レギュラーコーナーを担当するようになりました。そして番組が終わってからも、関西学生バスケットボールの放送の手伝いをしてくれないかと誘われ、2か月間週末は体育館に通う日々が続き、バスケットボール漬けとなりました。それ以降プロバスケットボールの試合を観戦するようになったところで、ある日インターネットラジオ局がDJを募集していたので、応募したら局の代表の方から合格を頂き、2012年の1月よりマンティーのバスケットボールチャンネルがスタートしたのです。

M:すごいですね!アナウンス学校に通ったことがきっかけでラジオ番組を持つことができたんですね。

マンティー:とにかくラジオ局の募集をひたすら検索していた。見つかるまでは結構時間がかかったけど、いいと思えばすぐに行動しました。恥だとか考えませんでした。

M:当時はサラリーマンだったわけですよね。

マンティー:サラリーマンでありながら、アナウンサー教室に通っていることを会社に公表していましたし、それはあくまでも趣味の延長線上という位置づけで会社と話をしていました。もちろん会社側からすると、「何をやっているんだ?」となるのでしょうが、会社に私の人生を保証できるだけのものはないと思っていましたから。

M:普通の人はリサーチするところまではいくのですが、行動に移すまで時間がかかってしまいます。マンティーさんにとって、夢のきっかけをつかむコツとはなんでしょう。

マンティー:恥を知らない。目立つことを恐れたらだめだよね。年齢には関係なく。家庭環境のせいだとかいいますが関係ないよね。

ありがとうございました。また、次回をお楽しみに!