私が子どもの時と比べると、どんどん便利な世の中になってきていると感じます。

その一方、使い捨てが当たり前のようになって、環境を汚してしまうかもしれない製品や、健康に良いとは思えない添加物だらけの食べ物が溢れているのも現実。

本当にいいのかなと思いつつ

「だけど気にしていたら生きていけないから」

という変な理屈で目を背けていたことがたくさんあります。

変化の激しい時代、自然環境はどのように変化しているのでしょうか。

 

 

そんな中

 

「美しい手賀沼を愛する市民の連合会」の八鍬雅子さんに千葉県手賀沼の自然についてお話をお聞きすることができました。

 

手賀沼周辺の自然は、1950年後半から1970年代の開発によって急激に水質が悪化したといわれています。

 

でも、それ以前は風光明媚な自然の美しい土地だったそうです。八鍬さんは遺跡の発掘調査にも携わっているのですが、手賀沼周辺には多数の貝塚が発見され、そのことからも、縄文時代から人々が暮らしやすい水辺の土地であったことがわかります。

明治後半から大正にかけては、手賀沼の景観に惹かれて多くの文化人が訪れ、武者小路実篤や志賀直哉など白樺派の文豪たちも移り住んできたそうです。

 

 

お話を聞きながら、以前住んでいた大田区大森のことを思い出していました。

大森といえば「貝塚」。縄文時代から、生活の場として人々に親しまれていたことが想像されます。

そして、JR大森駅西口を出てすぐ、高台に上がる階段を登った先に「八景・天祖神社」という神社があります。その昔、境内からは大森の海岸や房総まで見渡すことができたといわれています。その景色の美しさは8つの風景「笠島夜雨、鮫洲晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」と呼ばれたそうです。

景観の美しさは、歌川広重の浮世絵「八景坂鎧掛松」にも描かれています。

また、大正末期から昭和初期にかけて、多くの文士や芸術家が暮らし「馬込文化村」と呼ばれていました。その中には、小説家の尾﨑士郎さんや宇野千代さん、川端康成さん、山本有三さん、村岡花子さんなどの顔ぶれも……。

文化人が多く暮らしていたという

そんなところも共通しているなぁと……。

それでも、大森には海苔養殖の文化があったのですが、昭和37年の東京湾埋め立て開発をきっかけに海苔養殖の文化も終了しました。

馬込村について

そんな過去を知らなくても大好きな大森の街ですが・・・・・。今はその風光明媚な自然の面影が失われていると思うと複雑な想いです。

 

 

きっと

 

 

昔の日本は、水と共に暮らし、いたるところが美しい自然に溢れた土地だったのですね。

 

 

そんな記憶も人々から薄れているなか、

「子ども達に安全な水を飲ませたい」という想いで活動されている人が、千葉にいるんだ!と思うと希望が持てますね。

 

「美しい手賀沼を愛する市民の連合会」八鍬雅子さんの声や、「せっけんの街」理事長 道端園枝さんの声は、4月からの「せっけんの街」のコーナーで順次お伝えしていこうと思っています。

 

ご協力してくださる方がいらっしゃったら嬉しいです。

 

どうか、お願いいたします。